闘病マニア

1999年3月21日にくも膜下出血、2004年2月4日からの人工透析してるPKD(多発性嚢胞腎)患者の闘病を主に書いてます。闘病生活も10年を超えると生き延びる為に自分の病気にやたら詳しくなりマニア化してます。ただし不良透析患者なのでコイツ大丈夫と思われる事も多いと思いますが反面教師として役立てて頂けると幸いです。最後にくも膜下出血して透析してても元気にやって行ける事が多発性嚢胞腎の皆様に伝われば何よりです。

薬を元に戻したのでリンの値は元に戻りました(8/16の透析)

昨日(8/16)は17時34分に着床で待ち5分の17時39分に透析開始でした。昨日)の体重は2.5kgの2.99%増加で86kgでした。

 

昨日(8/16)の透析時の血圧の推移

・開始17時45分の血圧は上86下54でドライウエイトに設定して透析治療開始。

 

・2時間30分後の20時1分の血圧は上78下50でしたがi-HDFの補液が入る前だったので補液が入った後再度計測して上82下53でした。

 

・血圧が微妙なので3時間半の21時1分の血圧を計ってもらい上93下59でした。

 

・4時間経過後の21時21分の血圧は上86下54でした。

 

・怪しかったので21時42分に再度血圧測定したら上80下51まで下がったので水100g入れて除水を100g下げました。

 

・22時1分の血圧は上97下58でした。

 

・透析終了22時12分の血圧は上99下53でした。

 

昨日(8/16)の透析は200g残しの83.7kgで終わりました。

 

昨日(8/16)の透析まとめ

リンの吸着材ピートルチュアブルで多血症になったのに何故かホスレノールの錠剤250mgを500gにせずにピートルの顆粒を処方され多血症を再発したらピートルの顆粒を中止したけど代わりのリンの吸着剤の処方は無し。

 

呆れたけど透析の主治医様が指示したのでピートルの顆粒が出た時と同じく看護師、技師、薬剤師に意見してから主治医の指示に従いました。当然リンの値が下がらず何とか食事でコントロールしてタンパク質を1日60gにしてリンの値が7台、タンパク質を75〜80にするとリンの値は8〜10台でした。

 

流石に多発性嚢胞腎なのでタンパク質60gでは感染症のリスクが高くなるのでリンの値は気にせずにタンパク質を75gから80gでコントロールしたらリンの値が10を連発しました。見兼ねた看護師さん達が主治医に掛け合ってくれてホスレノールの250mgが復活しました。

 

食事は何も変えずリンの吸着剤ホスレノールを元に戻したら血液検査の結果も元に戻り6台になりました。抗菌薬、リンの吸着剤の薬の処方にセンスの無い現在の主治医は自分にとって最悪の相性の医師なのかも知れませんね。とは言え転院を希望している病院のベッドが空かずに9ヶ月待たされているのは辛いです。

 

【追記】

薬の処方にセンスの無い内科医と手先の不器用な外科医は嫌い。