闘病マニア

1999年3月21日にくも膜下出血、2004年2月4日からの人工透析してるPKD(多発性嚢胞腎)患者の闘病を主に書いてます。闘病生活も10年を超えると生き延びる為に自分の病気にやたら詳しくなりマニア化してます。ただし不良透析患者なのでコイツ大丈夫と思われる事も多いと思いますが反面教師として役立てて頂けると幸いです。最後にくも膜下出血して透析してても元気にやって行ける事が多発性嚢胞腎の皆様に伝われば何よりです。

せきや武蔵のプロフィール (2017/06/25)

丙午世代

1967年の2月生まれで丁未(ひのとひつじ)ですが早生まれ為に丙午(ひのえうま)世代です。丙午世代なので人数が少ないために大学入試において極めて楽な競争下にあり(1985年)、卒業時はバブル採用(就職は1年アメリカ留学した為1990年)まっただ中でお気楽な学生時代を過ごしました。

クモ膜下出血

その後の経済状況の悪化からバブル採用ゆえの苦労もありましたが1999年3月21日の春分の日くも膜下出血の一次破裂が分からず入院。精密検査で大騒ぎ中の腹部エコーで多発性嚢胞腎が発見されクモ膜下のクリッピング手術を受けそれ以来闘病しています。

多発性嚢胞腎

多発性嚢胞腎は遺伝で大多数が事前のに分かってますが私の周りの親族には多発性嚢胞腎患者が存在せず、くも膜下出血と多発性嚢胞腎が分かるのに時間がかかり、発見がもう1日遅かったら死んでいたと言われました。

血液透析導入

多発性嚢胞腎の保存期は2005年の2月3日までの約6年間で、嚢胞感染のため腎機能が一気に低下し2005年2月4日より血液透析導入し2017年6月時点で13年が経過してます。

現在

現在も多少のクモ膜下出血の後遺症や多発性嚢胞腎の合併症がありますが会社勤めをしていて月水金の夜間透析をしながら闘病生活を送っています。

ブログを書く理由

多発性嚢胞腎でクモ膜下出血と透析導入されてる方に直接お目にかかった事が一度も無いように稀有な多発性嚢胞腎でも更に稀な患者なので他の多発性嚢胞腎の方達の参考になればと思いブログを書くことにしました。

どんな投稿をするのか

記事は透析のこと、病気のこと、患者会のこと、お出かけのこと、色な事のレビューなどを中心に投稿する予定です。