闘病マニア

1999年3月21日にくも膜下出血、2004年2月4日からの人工透析してるPKD(多発性嚢胞腎)患者の闘病を主に書いてます。闘病生活も10年を超えると生き延びる為に自分の病気にやたら詳しくなりマニア化してます。ただし不良透析患者なのでコイツ大丈夫と思われる事も多いと思いますが反面教師として役立てて頂けると幸いです。最後にくも膜下出血して透析してても元気にやって行ける事が多発性嚢胞腎の皆様に伝われば何よりです。

わたしのADPKD体験談、新潟県在住のS=闘病マニア

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11/24に大塚製薬が運営してるADPKD.jpの「わたしのADPKD体験談第16回新潟県在住Sさん」として自分の体験談が掲載されました。

www.adpkd.jp

大塚製薬さんから PKDFCJ(多発性嚢胞腎財団日本支部)の方に大塚製薬ADPKD.jpの患者紹介コーナー登場する事を前提として自分を紹介してほしいと連絡が有ったそうです。

自分にその話が来たのは7月19日で多発性嚢胞腎の方に役に立つならって事で二つ返事で患者紹介コーナーに出る事を快諾しました。


インタビュー形式で

2017年9月12日にインタビュー形式で取材を受けました。長岡まで出向いて頂きホテルの一室を貸し切りでインタビュア1名、ライター1名、大塚製薬の方2名、合計4名に取り囲まれてのインタビューでした。

インタビューの時間は1時間10分でした。和やかな雰囲気で肩肘張らずお話する事が出来ました。インタビュアさんが上手に自分の思ってる事を引き出してくれて流石プロって感心しました。話し足りませんでしたが思ってる事の90%は話せたと思うので良かったでした。


テストページを見て

テストページが10月25日に出来たと連絡が入り内容を確認のために見ました。暴言失言を結構言ったのに上手にまとめて頂き文書に関しては何も修正点は無く流石プロのライターさんとインタビュアさんは違うと思いました。

挿絵も最初見た時は問題無かったですが良く考えたらポロシャツを着てたので普段はポロシャツは着ずに作務衣なのでポロシャツを来てる自分のイメージが出来ず無理を言って挿絵の服は作務衣にしてもらいました。


体験談のまとめ

今年はこの「ADPKD体験談第」・「多発性嚢胞腎患者の暮らしのヒント集」・「患者さんのためのPKD診療ガイドライン」の作成に関わる事が出来ました。

自分が18年前の1999年3月にくも膜下出血と分かった時は治療薬のサムスカも無く、多発性嚢胞腎を知らない内科医が多く、文献も殆どが英語だった時と比べると隔世の感があります。

多発性嚢胞腎は稀な病気でその中でもくも膜下出血し透析をしてる稀有な患者なので今回の体験談は少しですが多発性嚢胞腎の方のお役に立てたと自己満に浸ってます。